前橋地方裁判所太田支部 平成9年(ワ)71号 判決 1999年6月16日
主文
一 被告らは、連帯して、原告らに対し、それぞれ金八五七万八三四五円及びこれに対する平成八年一二月二六日から完済に至るまで年五分の割合による金員を支払え。
二 原告らのその余の請求を棄却する。
三 訴訟費用はこれを四分し、その一を被告らの、その余を原告らの各負担とする。
四 この判決は原告ら勝訴の部分に限り仮に執行することができる。
事実及び理由
第一原告らの請求
被告らは、連帯して、原告らに対し、それぞれ金三九七二万九七三六円及び内金三五八一万九一四七円に対する平成七年一〇月二五日(本件不法行為の当日)から完済に至るまで年五分の割合による金員を支払え。
第二事案の概要
一 争いのない事実
1 本件交通事故【本件事故】の発生
(一) 日時 平成七年一〇月二五日午後六時三〇分ころ
(二) 場所 群馬県邑楽郡大泉町住吉五三番二号先市町村道【本件道路】の交通整理の行なわれていない変則四差路(十字路)交差点【本件交差点】の横断歩道付近
(三) 加害車両 自家用普通乗用自動車(群五九ま一九三七)【被告車】
(四) 右運転者 被告草野亨【被告草野】
(五) 右所有者 被告有限会社ラッキー・エンタープライズ【被告会社】
(六) 被害者 亡飯塚悠貴【悠貴】(昭和六三年一〇月四日生、満七歳)
(七) 事故態様 本件交差点を直進進行中の被告車が、本件道路を歩いて横断中の悠貴を撥ねたというもの。
(八) 事故の結果 悠貴は平成七年一〇月二九日死亡した。
2 悠貴の死亡
悠貴は、本件事故により脳挫傷、左右急性硬膜下血腫、脳浮腫、頭蓋骨々折及び頭蓋内圧亢進の傷害を受け、右同日、総合太田病院において脳の手術を二回受けたが、四日後の平成七年一〇月二九日午前九時三分に死亡した。
3 被告らの責任
(一) 被告草野は、制限速度を越えて前方注視を欠いたまま進行した過失により本件道路を横断中の悠貴を撥ねて死亡させたのであるから、民法七〇九条により悠貴及び原告らに対する損害賠償責任がある。
(二) 被告会社は、被告車を所有し、自己のため運行の用に供している者であるから、自賠法三条により悠貴及び原告らの損害を賠償すべき義務がある。
4 相続関係等
原告飯塚清五【原告清五】(昭和二二年一月二〇日生)と原告飯塚澄子【原告澄子】(昭和二五年三月三一日生)は夫婦であり、その間に、長男健(昭和五八年一〇月五日生、本件事故当時小学校六年生)、二男基文(昭和六一年五月二一日生、本件事故当時小学校三年生)、三男悠貴(昭和六三年一〇月四日生、本件事故当時小学校一年生)がいた。
すなわち、原告清五は悠貴の父、原告澄子は悠貴の母であり、それぞれ悠貴の被告らに対する損害賠償請求権を各二分の一宛相続により承継取得した。
二 原告らは、被告らに対し次の損害があるとして、前記「原告らの請求」の損害賠償請求をしている。
1(一) 治療費 三九五万四九七〇円
(二) 入院雑費 五六〇〇円
(三) 傷害慰謝料 一〇〇〇万円
2(一) 逸失利益 三九三一万二六九五円
(算式)平成八年度賃金センサス第一巻第一表の産業計・企業規模計・学歴計の男子労働者の平均年収額五六七万一六〇〇円×〔就労可能年齢を六七歳として稼働可能年数を四九年間としたときの年四%とするライプニッツ係数(二二・六二三四-八・七六〇四=一三・八六三)×生活費控除割合(一-〇・五)
(二)<1> 悠貴の死亡慰謝料 三二〇〇万円
<2> 原告清五の死亡慰謝料 九〇〇万円
<3> 原告澄子の死亡慰謝料 九〇〇万円
(三) 葬儀費用 一五〇万円
(四) 墓地購入・墓石建立費用 二〇二万円
3 総合計 一億〇六七九万三二六五円
4 損益相殺 三五一五万四九七〇円
5 自賠責保険金分の確定遅延損害金
(一) 平成八年四月二六日に支払われた三〇〇二万七一〇〇円分につき、本件事故日の平成七年一〇月二五日から支払日の前日までの一八三日間について、民法所定年五分の割合による遅延損害金七五万二七三四円
(二) 平成八年一二月二五日に支払われた一一七万二九〇〇円分につき、本件事故日の平成七年一〇月二五日から支払日の前日までの一年六一日間について、民法所定年五分の割合による遅延損害金六万八四四五円
6 弁護士費用 七〇〇万円(原告ら両名の分)
7 原告ら各自の請求金額 三九七二万九七三六円
前記3の金額から4の金額を控除した金額七一六三万八二九五円の二分の一である三五八一万九一四七円に前記5の金額の合計八二万一一七九円の二分の一である四一万〇五八九円と前記6の金額の二分の一である三五〇万円を加算した三九七二万九七三六円及び右三五八一万九一四七円(確定遅延損害金と弁護士費用を除いたもの)に対する本件事故日から完済に至るまで民法所定年五分の割合による遅延損害金
三 主たる争点
1 本件事故態様、悠貴の行動と被告草野の運転
(一) 被告車と悠貴の衝突地点はどこか。
実況見分調書中の別紙交通事故現場見取図の衝突地点かどうか。
(二) 悠貴はどこから本件道路上に出てきたのか。
(三) 悠貴は本件交差点東側の横断歩道上を歩いていた(原告らの主張)か。
(四) 悠貴は本件道路を横断する際歩いていた(原告らの主張)か走っていた(被告らの主張)か。
(五) 悠貴は衝突の際西の方へ数メートル走って逃げた(原告らの主張)か。
(六) 本件事故時における被告車の速度は時速六〇キロ以上だった(原告らの主張)のか時速五〇キロだった(被告らの主張)のか。
(七) 被告草野は衝突直前本件道路上の悠貴に気づいていたか。
(八) 被告草野は衝突以前に急ブレーキをかけているか。
2 過失相殺(過失割合)
悠貴は本件交差点の東側横断歩道上を歩行していて時速六〇キロ以上の速度の被告車に撥ねられたから悠貴には過失はないといえる(原告らの主張)のか、悠貴は付近に横断歩道があるのに横断歩道でない所から突然本件道路上に飛び出してきたから悠貴の過失は少なくとも一割五分であるといえる(被告らの主張)のかどうか。
第三当裁判所の判断
一 主たる争点1、2について
1 証拠(甲七ないし一二、一六の1ないし4、一七、二〇、三二の5、三六、四一、四七、乙一の1、2、二の1、2、被告草野)並びに弁論の全趣旨によると次の事実が認められる。
(一) 本件道路は、東西に走る片側二車線(上下四車線)の町道で、その幅員は一車線が三メートル、両側四車線分で一二メートルである。また、アスファルト舗装された平坦な直線道路で(したがって、被告草野の進行方向は前方の見通しが良い。)、本件事故当時乾燥していた。
本件事故現場では時速四〇キロの速度規制がなされている。
(二) 本件交差点は、交通整理の行なわれていない変則四差路(十字路)で、分かり易くいうと西に位置するT字交差点とやや東にずれた位置にある逆T字路交差点のある場所といえる。
本件では、右にいう東側の逆T字路【本件通路】とその付近が問題となっており、本件道路の北側に位置している。本件通路の幅員は車道部分が三・五メートル、西側の路側帯が〇・五メートル、東側の路側帯が一メートルであり、本件通路は、南から北へ車両の一方通行の規制がなされている。
(三) 本件道路は、本件交差点において、センターラインが引かれており、はみ出しが禁止されている。
本件交差点の東側にある逆T字路交差点、すなわち本件通路の南側は、本件道路の北側部分につながっているが、それより一メートル位東寄りの所に横断歩道【本件横断歩道】があり、その東西の幅は三~四メートルである。
右の逆T字路交差点或いは本件横断歩道から東方及び西方約一二〇ないし一五〇メートルの所に信号機がそれぞれ設置されている。
(四) 本件交差点付近には、本件道路脇(北側、南側)に約二〇メートル間隔で街路灯が設置されてあって、その明りで本件現場付近は夜間でもやや明るい。
本件交差点は市街地にあり、本件事故当時交通量はやや頻繁である。したがって、夜間には対向車のビームによりすれ違い時に起こるいわゆる歩行者の蒸発現象のため本件道路の横断者を認知しにくいこともある。
(五) 被告草野は、本件道路片側二車線中央寄り(第二車線)を東から西に向けて、代行車として借りていた被告車を前照灯を下目にして運転し、急いでいたので時速約五〇キロの速度で直進走行していた。先行車はなかった。
被告草野は、考え事をしたため前方注視を怠り、漫然と制限速度を越えるスピードで〔その速度については後に判断する〕本件交差点に進入し、かつ進行した過失により〔被告草野の言い分では右斜め前方約二〇・三メートルの地点に〕本件道路を横断中の悠貴〔悠貴の横断方法については後に判断する〕を発見し、急ブレーキをかけた〔この点の判断についても後述する〕が、間に合わず、被告車の前部中央付近を悠貴に衝突させて同人を跳ね上げ転倒させた。
右の急ブレーキにより被告車のスリップ痕が付いたが、その始まりは右側車輪のスリップ痕であり、本件横断歩道の南北線西端の線から約一・四メートル〔原告らは、被告車のスリップ痕が付き始めたのは横断歩道を乗り越えてから二メートル程すぎてからであると主張するが、採用できない。〕西寄りの所から始まっている。そして、被告車の右側車輪のスリップ痕の長さが一二・八メー―トル、同左側車輪のそれが四・三メートルである。その右側車輪のスリップ痕は、本件道路のセンターラインから約一メートル南側すなわち、本件通路の南端から約七メートルの位置にある。
(六) 被告車は、ホンダ製の昭和六二年式黒色のプレリュードで、ABSが装着されていないオートマチック車であり、本件事故当時の走行距離は一三万三八八六キロである。車体の幅は一・六九メートルある。
本件事故により被告車のボンネット中央部左寄りの部分が凹損し、前面中央部に取り付けられているナンバープレートの中央下半分が折れ曲がった。これによると、被告車と悠貴の衝突地点は、本件通路の南端から約七・五メートルの位置にあることになるから、悠貴は後記のとおり本件道路を北から南へ約七・五メートル横断したことになる。
(七) 原告らは、平成四年一二月以降、本件事故現場より東へ約三〇〇メートル行った所で(本件道路南側に面している)、宝石・貴金属店を経営し、前記三人の男児とともに生活していた。ちなみに、悠貴ら三人の男児は、原告らの自宅から本件道路を北に横断して小学校に通学していた。
本件事故当日、悠貴と兄健の両名は、自宅から本件道路を渡った北へ約一〇〇メートルの所にある湯沢医院に立ち寄り、そこからいせや(スーパー)に行こうとして西へ歩き、本件通路を一旦は北へ向かったが、暗くなってきたので、自宅に帰ることとしてUターンし、本件通路を南下して本件交差点に向かった。そして、悠貴と兄健の両名は、本件通路の東側路側帯を歩いて逆T字路交差点に差し掛かった。
悠貴の帰るべき自宅は、その逆T字路交差点からは本件道路を渡った東の方角、つまり、本件通路の東側路側帯を右の交差点に向かって南下していくと左斜め前方の方角の位置にある。
当日、悠貴(身長一一八センチ)は、赤とグレーの横縞模様のTシャツと黒のジャージのズボンを着用していたから、服装の反射率からするとすれ違いビームの場合見えにくい。
(八) 悠貴の顔面、両足の前側には幾つかの擦過傷が見られるが、骨折は頭頂部だけであり、また、裂傷は右足の背面だけである。したがって、被告車は、悠貴の右足背面に衝突したものと考えられる。
2(一) まず、被告車の速度について検討する。
当裁判所は、客観的な証拠として被告車のスリップ痕を重要な事実と考える。そうすると、被告車の右側車輪のスリップ痕の長さは一二・八メートルであるから、被告車が悠貴に衝突したために制動が利いたこと、両側の車輪が同時に利いていないことを考慮すると、被告車は、少なくとも時速五二キロのスピードが出ていたものと推定する(甲二三)。被告草野が時速五〇キロであったと供述していることは、ほぼこれに沿うものであり、採用することができる。
原告らは、被告車の速度につき、時速六〇キロ以上は出ていた旨主張するが、これを認めるに足りる確かな証拠はない。
証人飯塚健は、被告車の速度につき、時速八〇キロ以上だったと供述するが、他方で、悠貴が本件横断歩道を歩いて渡ったと供述する。仮に、悠貴が本件横断歩道を歩いていたとすると、小学校一年生の足では時速三・五ないし三・六キロ(大人の通常人の時速は四キロといわれている。)、すなわち一秒間に約一メートル歩く訳であるから、本件道路を北から南に七・五メートル横断するのに約七・五秒かかったことになるが、横断開始時点の被告車のいた位置は、本件横断歩道より一六〇メートル以上(時速八〇キロは秒速二二・二二二メートルであるから、その七・五倍)も東方ということになる。つまり、被告車は本件横断歩道の東にある信号機を通過していないということになり、本件事故当時の交通量に照らし、到底採用することができない。
(二) 次に、被告車が急ブレーキをかけ始めた地点について検討する。
自動車の停止距離(急ブレーキで止まるまでの距離)は、空走距離(ハッと思って急ブレーキを踏み、ブレーキが利き始めるまでの距離)と制動距離又は滑走距離(ブレーキが利き始めてから自動車が止まるまでの距離)を加算したものであり、時速五〇キロの場合、停止距離は、大雑把にいうと空走距離(運転者の反応時間を〇・七五秒として一〇メートル)と制動距離又は滑走距離(路面タイヤ間の摩擦係数を〇・七として一五メートル)を加算した二五メートルとなるといわれている。
空走距離の長短は、運転者の反応時間の長短によって決まる。一般の場合、平均〇・四秒ないし〇・八秒(早い人で〇・五秒、平均で〇・八秒という説もある。)といわれている。
制動距離又は滑走距離は路面・タイヤ間の摩擦係数による。しかして、通例、制動距離表(S=V2÷259÷f)、が用いられるが、被告車の速度を時速五二キロとすると、摩擦係数が約〇・八一であれば、スリップ痕の長さは一二・八メートルとなるから、本件では矛盾を生じることがなく、この仮定は首肯できるというべきである。
ところで、被告草野が悠貴を発見して急ブレーキをかけたという地点から被告車の右側車輪のブレーキ痕の始まる地点までの距離は一三・九メートルである(甲四七)から、被告草野の空走距離は約一三・九メートルということになるが、これは被告草野の反応時間が〇・九六秒であれば計算上(時速五二キロは秒速一四・四四四メートルであるから、〇・九六秒で一三・九メートル走行する計算となる。)合致するところ、被告草野が考え事をしていたことからすれば、同被告の反応時間が平均よりやや遅い程度であることは首肯できるというべきである。
以上によると、被告草野が悠貴を発見して急ブレーキをかけたという地点についての同被告の供述は採用することができるといわなければならない。
(三) 本件事故直後に現場に駆けつけた証人八町夏美は、救急隊の人が被告草野に悠貴はどっちから来たかと尋ねたところ、被告草野は「分からない。」と答えたと供述する(甲二一、四四の記述も同趣旨)。また、被告草野が書いた書面(甲一九の3、4)にも「悠貴が出て来た位置は分かりません」「右から来たか左から来たか分かりません」などと記載がある。
しかしながら、右の供述部分と甲二一、四四、一九の3、4の各記述部分は採用することができない。その理由は次のとおりである。
すなわち、証人八町夏美が供述するように、被告草野が悠貴がどちらの方角から来たか分からなかったと仮定すると、被告草野は、本件横断歩道上又はそれより西の地点で悠貴を撥ねてから急ブレーキをかけたことになるが、前判示のとおり空走距離は一〇メートルを越えることが明らかであり、スリップ痕はその後、路面に残ることとなる訳で、そうだとすると、本件のように、本件横断歩道南北線の西端から西へ僅か一・四メートルという近くにスリップ痕が付くことは物理的に起こりえないのである。言い換えると、被告草野が本件横断歩道上で悠貴を撥ねて、それと同時に急ブレーキをかけたとすると、被告車のスリップ痕の始まりは、本件横断歩道南北線の西端から更に一〇メートル以上も西へ行った地点となる筈であって、本件事故現場における被告車のスリップ痕という客観的事実と矛盾することが明らかだからである。
(四) 悠貴と一緒にいた証人飯塚健は、本件事故現場で警察官が被告草野に悠貴はどちらから渡ったかを尋ねたところ、被告草野は「南から北に渡っていた。」と答えたので、警察官に「悠貴は北から南に渡っていた。」と話したと供述する(甲三三の記述も同趣旨)。しかしながら、被告草野は本件事故直後警察官に悠貴のいた位置を特定し指示していること(証人中嶋正、被告草野)、自分の目の前で弟が自動車に何メートルも撥ね飛ばされたのを目撃し、強いショックを受け動転していると思われる小学校六年生の健が果たして右のような冷静かつ分別ある言動を取れるか疑問無しとしないこと、本件事故現場にいた警察官の一人である証人中嶋正は飯塚健から右のような話を聞いていないことに照らすと、証人飯塚健の右の供述部分と甲三三は採用することができないといわざるを得ない。
(五) そこで、悠貴が出て来た場所と衝突地点について検討する。
被告草野は、悠貴を発見した時の同人の位置及び悠貴との衝突場所を指示しているが、これを前提にすると、本件通路東側の路側帯を南下して逆T字路交差点まで来た悠貴ら兄弟は、帰るべき自宅が南東方向(悠貴から見て左手斜め前方先)であるのに、南西方向(悠貴から見て右手斜め前方先)へ本件道路を斜め横断したことになり、いかにも不自然不可解という他ない。
本件通路東側の路側帯を南下して逆T字路交差点まで来た悠貴ら兄弟としては、帰るべき自宅を目指して本件道路を横断したものと認めるのが合理的である。したがって、悠貴は、本件通路が逆T字路交差点と合流する地点の東側角(レストランシャンピの角ではなく、それと反対側の人家の角)付近から、本件道路の横断を開始し【本件横断歩道上ではなく】、右歩道部分のやや西側を横断したものと認定する。
なお、本件横断歩道南側の左右(東西)約一~一・五メートルの部分には植え込みはない(甲一一、二〇、したがって、甲一二の植え込み部分の表示は不正確である。)
(六) この点につき、原告らは「本件横断歩道北側で悠貴が西側(進行方向右側)に、健が東側(進行方向左側)に並んで止まり、左右の安全を確認し、左右から来る自動車がなくなったので、まず悠貴が本件横断歩道を渡り始め、北から南に七メートル位歩いてセンターラインをすぎたころ、まだ横断を開始していなかった健が、左側(東側)から進行してきた被告車に気づき『あぶない。とまれ。』と大きな声で叫ぶと、悠貴は前に逃げることも後に戻ることもできず、被告車の進行してくる反対側の西へ数メートル逃げた。」と主張する(訴状請求の原因第三項、原告らの平成九年九月一〇日付準備書面一項)。そして、原告清五の陳述書(甲一〇の四項)では、悠貴は横断を始めたが、健は、東方はるか遠くから来る被告車のスピードが早いので渡るのを迷っていたと記述している。
しかしながら、仮に、原告らの右主張のとおり、悠貴が歩いて本件道路を約七メートル横断し、センターラインを越えたというのに、その時点で健は未だ横断を開始していなかったとしたら、次の疑問が生じる。すなわち、悠貴の歩く速度は前判示のとおり秒速一メートル前後であるから、約七秒もの間、健は立ったまま何をしていたのか、悠貴が歩きだす時点で、被告車(秒速一四・四四四メートル)は一〇一メートル先を走行していた訳であるから、健だけが立ったまま左右の安全を確認し続けていたというには余りにも不自然である。
これに対し、証人飯塚健は、当法廷では、自分も悠貴と並んで一、二歩歩き始めてから東の方を見て、段々近づいてくる早そうな被告車が来ることと、センターラインを少し越えた辺りまで進んでしまっていた悠貴に気づいたと供述し(尋問調書三二項ないし五一項)、自分も一、二歩横断を始めていたとして、原告らの右の主張と食い違う供述をしている。
他方、原告清五は、その陳述書(甲一〇の四項)で、健は悠貴が本件横断歩道を七メートル以上も渡っているのに気づき危険を感じ「あぶない、にげろ」と大きな声で叫ぶと、悠貴は被告車の進行してくる反対側の西へ数メートル逃げた旨記述するが、甲三二の3の陳述書(一頁)では、悠貴の危険に気づいた健は大きな声で「あぶない、とまれ」と叫ぶと、被告車に気づいた悠貴は西へ数メートル逃げた旨記述する。しかしながら、証人飯塚健は、当法廷で、悠貴に向かって「危ない」とだけしか叫んでいないと供述している(尋問調書五〇項、九五項)。しかして、一瞬とっさの時に「あぶない」とだけ言って、そのほかに「とまれ」とか「にげろ」とか言わなかったとの証人飯塚健の右供述部分は十分うなづけるから、採用できるというべきである。
したがって、原告清五の右の各記述中、「にげろ」「とまれ」との部分は採用しない。
そうすると、兄の健から「あぶない」としか大声で言われていない小学校一年生(満七歳)の悠貴としては、せいぜいびっくりして逃げようと向きを変えるか一歩逃げ出すのが精一杯であって、証人飯塚健が供述し〔同人は、悠貴は被告車が来るのと反対側に向かって一~二メートル走って逃げてから、被告車にぶつけられたと供述している。〕かつ原告清五が記述するように〔但し、健が「とまれ」と叫んでいたならば、悠貴は多分その場に止まっていたであろう。〕、被告車と衝突するまで一~二メートル若しくは数メートルも走って逃げる行動をとったとは到底考えられないといわなければならない。なぜなら、「危ない」と言われた悠貴が危険回避行動をとるまでの反応時間でさえ〇・五ないし〇・八秒を要すると解されるが、通常「危ない」と言われて左手方向を見たら高速の自動車が間近に迫っていた場合、体が硬直して容易に逃げ出せないものであり、本件において、悠貴が瞬時に体の向きを右横向きにして進行方向を変更し、左足を前に出して一歩走り出す態勢に至るまでにもコンマ何秒かはかかるところ、被告車は一秒間に一四・四四四メートル、二秒もあれば二八・八八八メートルも走行するのであるから、悠貴が衝突するまで数メートルも走って逃げることは到底できなかったと考えられるからである。
ちなみに、原告清五は、警察官に対し「悠貴は西側へ走って逃げる様にさけ様としていたけれどもあっという間に被告車と衝突してしまったとのことです。」と述べているにすぎない(乙一の1の中の平成七年一一月二三日付供述調書四項)。
(七) 更に、悠貴の飛び出しか否かについて検討する。
悠貴の診療録一式(乙一〇の一二頁)によると「交通事故」「緊急入院」「路上に飛び出して時速五〇キロ位の走行の乗用車にひかれた」旨の記載がある。しかして、右の記載は、医師の手によるものであるが、当該医師は、ある情報を基に真実を記載したものと認められる(勝手に推測して書いたとは考えられない。)ところ、その直接の情報提供者は、被告草野が現行犯逮捕されていた以上(甲七)、悠貴を搬送した救急隊の者か、悠貴に連れ添った又は病院に駆けつけた原告らかであって、それ以外にはあり得ないといわなければならない。そして、それらの者もまた、医師には真実ありのままの情報を伝えたものと考えられる。
そこで、仮に医師が救急隊員から事情を聞いたとすると、救急隊員は本件事故現場において誰か(健、原告ら又は被告草野)から「悠貴が路上に飛び出して轢かれた」ことを聞いていたことになり、また、仮に医師が原告らから事情を聞いたとすると(その可能性の方が高いと考えられる。)、原告らは、悠貴と一緒にいて本件事故状況にもっとも詳しい健から、「悠貴が路上に飛び出して轢かれた」ことを聞いていたものと推認できるのである。
したがって、本件事故直後、悠貴は本件道路に飛び出したこととされていたことが認められる。
また、飯塚健は、本件事故の二日後である平成七年一〇月二七日、警察官中嶋正との電話において「悠貴が本件道路へ急に飛び出した」と答えている(乙一の1の中の「電話用紙」、証人中嶋正。したがって、これに反する証人飯塚健の供述部分は採用することができない。)。
更に、被告草野は、右同日、警察官に対し「二〇・三メートル先の地点に急に悠貴がとび出してきたのが見えた」と供述している(乙一の1の中の被告草野の平成七年一〇月二七日付供述調書五項)。
以上の認定事実や疑問点に、「あぶない」と叫ぶこと自体が飛び出した場面にピッタリする言葉であることを併せ考慮すると、悠貴は、本件道路を走って横断したものと認めるのが相当である〔したがって、この点に関する起訴事実(甲九、乙二の1)は正当である。〕。
被告草野は、平成八年三月二九日、原告澄子の求めに応じて「子供(悠貴)の飛び出しではありません」「右から来たか左から来たか分かりません」などと書面(甲一九の3、4)に記載しているが、右から来たか左から来たか分からない者が、確信をもって悠貴の飛び出しでないことを言える訳がないから、右の記載は採用することができない。
3 以上のとおりであるから、当裁判所は、本件事故の態様につき、悠貴が本件通路が逆T字路交差点と合流する地点の東側角付近から、本件道路(本件横断歩道のやや西側一メートル位の所)を横断し、被告車の右車輪のスリップ痕の始まる手前辺りで〔ここを衝突地点と認定するから、被告草野のいう衝突地点に関する捜査段階及び当法廷の供述部分は遠近感を見誤ったものと認め採用しない。〕、西の方角に向きを変えて走り出そうとした状態の時若しくは一歩程度走り左足を前にした状態の時に、被告車に衝突したから、被告車と悠貴の衝突した音(ドン、ボーン)とブレーキが利き始めた時の音(キキーッ)は前者が早かったか同時位であったものと判断する。右の認定判断に反する証拠はいずれも採用しない。
そうすると、悠貴は、横断歩道がすぐ近くにあったのであるから、左右の安全を十分確認し、時間的余裕をもって横断を開始し、速やかに本件横断歩道を横断すべきであったといわなければならない。
したがって、このような事実関係のもとでは、本件事故発生につき、被告草野の過失は八五%、悠貴の過失は一五%と認めるのが相当であるから、悠貴及び原告らの後記損害(但し、弁護士費用を除く)から過失相殺として一五%を減ずるのが相当である。
二 損害額について
1(一) 治療費(請求額三九五万四九七〇円)【認容額三九五万四九七〇円】
(争いがない)
(二) 入院雑費(請求額五六〇〇円)【認容額五六〇〇円】(争いがない)
2(一) 逸失利益(請求額三九三一万二六九五円)
【認容額三〇五四万四七九九円】
悠貴は、死亡当時、満七歳の男児であるから、基礎収入については、平成九年度賃金センサス第一巻第一表の産業計・企業規模計・学歴計の男子労働者の平均年収額五七五万〇八〇〇円を採用する。
次に、中間利息の控除方式については、原告ら主張のとおりライプニッツ方式によるが、年四%の率とするのは相当ではなく〔なぜなら、一方で遅延損害金の金利につき年五分を請求しながら、他方で中間利息の控除につき年四%と主張することは公平の観念に反し許されないといわなければならない。〕、年五%の率によるのを相当とする。
しかして、原告ら主張のとおり就労可能年齢を六七歳、稼働可能年数を満一八歳から満六七歳までの四九年間とする。
そうすると、ライプニッツ係数は一〇・六二二八となる(労働能力喪失期間六〇年間に対応する一八・九二九二-労働力喪失期間一一年間に対応する八・三〇六四)。
なお、生活費の控除割合については五〇%として計算する。
したがって、悠貴の逸失利益の金額は三〇五四万四七九九円(円未満切捨て)となる。
(算式)五七五万〇八〇〇円×一〇・六二二八×(一-〇・五)
(二) 悠貴の傷害慰謝料及び死亡慰謝料
(請求額傷害慰謝料一〇〇〇万円、死亡慰謝料三二〇〇万円)
【認容額一六〇〇万円】
本件における諸般の事情を総合すると、悠貴の傷害及び死亡による慰謝料額は合わせて一六〇〇万円と認めるのが相当である。
(三) 原告清五の慰謝料(請求額九〇〇万円)【認容額二五〇万円】
本件における諸般の事情を総合すると、原告清五の慰謝料額は二五〇万円と認めるのが相当である。
(四) 原告澄子の慰謝料(請求額九〇〇万円)【認容額二五〇万円】
本件における諸般の事情を総合すると、原告澄子の慰謝料額は二五〇万円と認めるのが相当である。
(五) 葬儀費用(請求額一五〇万円)【認容額九〇万円】
原告らは、悠貴の葬儀に際し、請求額以上の出捐をしたことを認めるに足りる証拠がないから、葬儀費用の損害としては控え目に九〇万円と認定する他ない。
(六) 墓地購入・墓石建立費用(請求額二〇二万円)【認容額一三〇万円】
原告らは、悠貴のために、墓地の永代使用料として四五万円、飯塚家の墓所工事代金として一四〇万円を出捐したことが認められる(甲一四、一五の1、2)から、本件事故との相当因果関係に立つ損害としては一三〇万円と認める。
3 過失相殺後の損害額
右1、2の金額の合計額五七七〇万五三六九円から一五パーセントを減ずると四九〇四万九五六三円(円未満切捨て)となる。
4 弁護士費用(請求額七〇〇万円、原告ら各自三五〇万円)
【認容額一四〇万円(原告ら各自七〇万円)】
本件における請求額、認容額、損害の慎補、事案の内容、難易性、審理期間等諸般の事情を斟酌すると、弁護士費用のうち、一四〇万円(原告ら各自七〇万円)が本件事故と相当因果関係に立つ損害と認める。
5 右3の金額と4の金額の合計は五〇四四万九五六三円である。
6 損益相殺と充当関係
(一) 平成八年四月二六日、本件事故による損害賠償として三〇〇二万七一〇〇円と治療費三九五万四九七〇円(合計三三九八万二〇七〇円)が支払われた(原告らと被告らとの間で明らかに争わないものと認める。)。
(二) 右5の五〇四四万九五六三円に対する、本件事故日の平成七年一〇月二五日から右(一)の金額支払の日である平成八年四月二六日まで(一八四日間分)の年五分の割合による遅延損害金は一二七万一六〇五円(円未満切捨て)である。
したがって、これに右五〇四四万九五六三円を加算すると五一七二万一一六八円となる。
そして、右の金額から右(一)の金額を控除すると一七七三万九〇九八円となる。
(三) 平成八年一二月二五日、本件事故による損害賠償として一一七万二九〇〇円が支払われた(原告らと被告らとの間で明らかに争わないものと認める。)。
(四) 右(二)の金額の一七七三万九〇九八円に対する、平成八年四月二七日から右(三)の金額支払の日である平成八年一二月二五日まで(二四三日間分)の年五分の割合による遅延損害金は五九万〇四九三円(円未満切捨て)である。
したがって、これに右一七七三万九〇九八円を加算すると一八三二万九五九一円となる。
そして、右の金額から右(三)の金額を控除すると一七一五万六六九一円となる。
7 以上のとおりであるから、原告らの損害額はそれぞれ一七一五万六六九一円の二分の一の金額である八五七万八三四五円(円未満切捨て)及び右の各金員に対する平成八年一二月二六日から完済に至るまで民法所定年五分の割合による遅延損害金となる。
(裁判官 笹村將文)